演奏の様子  
   
◆森のホルンのポルカ

半年ほど前に突然、「ぐんまフラワーパークで森のホルンのポルカを聞きました。とてもよい曲だったのでぜひ自分達のホルンクラブでやってみたいと思い作曲者の榊原栄氏の名前で検索して榊原栄氏のホームページを探し当てました。どのようにして楽譜を手に入れることができますか?」と、岩手ホルンクラブの方からのメールを受け取りました。いろいろな作品を作っているので「あ〜そんな曲も作ったっけ」とさっそくスコアを探してみました。もうかれこれ10年近く前になりますが、「ぐんまフラワーパーク」で花時計と一緒に奏でる音楽をということで、“森のホルンのポルカ"というHorn四重奏とベルと弦楽合奏の為の曲を作ったことを思い出しました。
1992年1月12日とサインの入ったスコアが見つかり、早速コピーして送りました。練習をしているのかな?と時折思い出していましたが、1ヶ月ほど前に「樺山まつり」で黒沢尻南高等学校器楽部と一緒に演奏したという手紙と、そのときのビデオ、写真などが届きおどろきました。岩手県北上市にある「樺山歴史の広場」で行われた『野外さわやかコンサート』の最初に演奏されたそうで、「樺山歴史の広場」は緑がとても深く、その緑に囲まれた広い芝生の上での演奏は本当に「森のホルンのポルカ」にふさわしい、と感激してしまいました。
  岩手ホルンクラブの演奏は、アマチュアとは思えないほどとてもレベルが高く、黒沢尻南高等学校のマンドリンともバランスがとれていて、自分の作曲した曲がこのように演奏されるのはとてもうれしいものだと思いました。
このホームページを通して新しい出会いの場が出来たことは、これまたとてもうれしいことです。これを機に「森のホルンのポルカ」を吹奏楽用・オーケストラ用に編曲し直すつもりでいます。自分の作品が日本のあちらこちらで多くの方に演奏してもらえることが作曲家としてこの上ない幸せだと思っています。。



 
soba  
   
◆そばツアー2000年編

新そばの出る頃になるとそば仲間の腰が落ち着かなくなる。 今年も、山形方面へ「そばツアー」に出かけた。一昨年は北陸方面、去年は福島方面だった。
いそがしい人々が東京駅に集まる。心は「そば」のことでいっぱい。子供の修学旅行なみにはしゃいだ空気がただよう。新庄でレンタカーを借りまずは<あらきそば>へそして「山形そばを食う会例会場」となっている<萬盛庵>へ今日はそこまでで宿泊先の銀山温泉へ向かう。次の日は朝食後<まんきち>へそして<七兵衛>そのほか2〜3軒のそば屋をはしごしたのち2日目の宿泊先である天童温泉へむかう。
新そばの香りはどのそば屋でも味わえるというものではない。
市中のほとんどのそば屋は外国産のそば粉を機械打ちしたそばを使っているのですでに香りはない。その点自家栽培や自家製粉したそば粉それも石臼などを使ってこだわって製粉しているそば屋はやはりどこかちがう。特に水にこだわりだしのかつおぶし・こぶ・醤油にまでこだわる。
  前に行った福島の都古部落のそば屋は全軒が湧いている川の水を使っている。
この水は大変美味で、作家の村松具視氏命名による“夢見の水“として全国に有名である。
そば作りはどこか指揮者の仕事と似ている。メロディーひとつの歌い方・リズムのこだわり・ハーモニーの力関係・楽器の響かせ方などこだわればこだわるだけ音楽が豊かに奏でられる。このこだわりを失うと音楽も“駄そば”のようになる。うまいそばを食べるということはこだわったうまいそば職人を知りに行くことなのである。
日頃からそば好きで友好をあたためている仲間は次の日早朝に仙台空港から博多へ仕事にでかける者、山形空港より大阪へ出かける者、新幹線で東京へ戻る者とまた忙しい毎日にもどっていった。「今年はどこへそばツアーをしようか?」ともう2001年の秋が待ち遠しいそば仲間たちである。きっと2001年は岐阜方面をせめることになるであろう。



 
◆テキサス1000エーカーの牧場での大砲と テキサスバーベキュー

アメリカテキサス州オースティン郊外にある
RED CORRAL RANCHは榊原栄の旧知
であるColleen and James Reeves が所有する牧場です。
この4月にテキサスバーベキューを食べたくなって10年ぶりにこの地を訪れました。
この季節のテキサスはブルーボンネットというかわいい青い花が草原にさきみだれ、新緑の木々の中をハミングバードが歌うように飛び回る。テキサスでは一年中で一番すてきな季節です。 「テキサスバーベキュー」これを日本で食べることはまず出来ないと思います。
 
   
 
  ブリスケットといわれる牛の肉のおおきなかたまりを最初に焦げ目をつけてから12時間ほどかけてスモークするものです。とろりととけた肉と香ばしいソースの味はこれぞテキサスという醍醐味をもたらしてくれます。
このテキサスバーベキューの機械を購入してこようと思ったのですが、なんと400sもあるとのこと。あきらめて自分で造ることにしました。CADを用い設計図をかいたところ 耐熱レンガ300個を必要とすることがわかりました。
「今年の夏までには完成させるぞ!」とひそかに自分に声援をおくっています。(大変な仕事になりそう・・・)
1000エーカーの牧場には緑ゆたかな草原と夢あふれるクリーク沿いの散歩道そしてごろごろとした岩とサボテンがおりなす馬が良く似合う荒野が混在しています。
スエーデンの船にすえつけられていた大砲を牧場の真中の広大な草原に取り付け自家製の鉛の玉を打つ・・・こんな光景を目の前でみられるのはテキサスだからこそという醍醐味です。



 
 
   
◆障害者とのコンサート

昔、金沢の飲み屋で若々しいご夫婦にあった。彼らは私が指揮者であることを知って話し掛けてきた。私とアンサンブル金沢とのコンサートを良く聴きに来てくれたそうだ。
その夫婦は結婚する前、東京でよくコンサートに二人で出かけオーケストラを聴いて大いなる喜びと感動を受けたものだと熱っぽく話してくれた。
彼らには中学生の子供が一人おり、彼は重度の知的障害があって石川県の養護学校に通っていた。このご夫婦はクラシック音楽のすばらしさを子供に伝えるために家ではいつもクラシックのCDをかけているが、本当は生の本物のクラシックを聴かせてやりたいと熱望 していた。
  特に知的障害のある人は、コンサートホールが入場を禁止しているわけではないけれど周囲への気兼ねら親や周りの人がホールに入るのを憚っているのが現状だ。そんな気兼ねのいらないコンサートは出来ないものかとアンサンブル金沢と相談した結果 「障害児童のための音楽教室」が開かれることになった。
当日は安全のため体育館にござをひき、重度の障害児は先生の介護つきでその他の児童は思い思いにござの上に座りあるいは立ちそして歩き回りながらコンサートを聴いた。
彼らの音楽に対するリアクションはダイレクトでストーレートに演奏家に返ってきて、それは今まで経験したどんな聴衆よりも熱っぽく激しいものであった。
音楽家は全員感動した。周りの介護の人々も感動した。このコンサートが出来たよろこびに全員がひたった。
この始めてのコンサートからもう10年も経った。最近ではアンサンブル金沢にならって名古屋フィルや神奈川フィルがこのコンサートを始めた。さらに、交響楽振興財団、曽野綾子さんの日本財団もこのコンサートを援助してくれている。
このコンサートがずーと続くことを願っている。



 
◆ロボコビッツ城とドヴォルジャークの生家

2000年から2006年までチェコを代表するオーケストラであるスーク室内オーケストラの首席指揮者に任命され、チェコでCD制作やコンサート活動を行っている。
日本では学校の下校時になるオルゴールのあの有名な「家路」のテーマはこの国の大作曲家ドヴォルジャークの作品として特に日本人には馴染み深い。
あの独特な音形はペンタトニックと言って、日本人も古来持っている5音音階で出来ている。だから哀愁を帯びたあのメロディーは特に日本人の心を捉えるのである。
チェコを代表する作曲家ドヴォルジャークの生家はプラハより40kmほど離れた郊外にある。
モルドウ河がゆったりと目の前をながれその脇を鉄路が走っている。ドヴォルジャークは子供のころよりこの鉄路を走る列車のガタゴト言う音を聞いて有名な「ユーモレスク」を作曲したと言われている。この地に生まれ育ったドヴォルジャークがあの土の香りの高い、心にしみいる名曲の数々を生み出したということが本当に納得できる。
この生家のすぐそばにあるのがロボコビッツ城であり、このお城はかつて若かったベートーヴェンも滞在し、彼の個人的なスポンサーであったロボコビッツ公爵の夏の別荘である。
私もこのお城でスーク室内オーケストラと数回コンサートをした。
ドヴォルジャークの生家からすぐ手の届く丘の上にこの夢のようなお城は建っている。
中庭には昔の大砲が置いてあったり、よろいや槍そして家紋の入った旗などが歴史を感じさせる。さらにこじんまりとした瀟洒なホールの高い天井には美しいフレスコ画が描かれ、大きな暖炉そして村の全貌が見渡せる大きな沢山の窓、その中で演奏する私たちや聴衆を夢の世界につれていってくれる。
展示室には当時のお抱えのオーケストラの古い楽器が手入れ良く保存され、さらに食堂にはベートーヴェンももてなされたマイセンや古伊万里などなどの食器が並べられ給仕が出てきて晩餐が始まるのではないかと錯覚さえしてしまう。
このすてきな空間で、スーク室内オーケストラの演奏を聴いて日本人の鉄人シェフの料理を味わうことは夢物語ではない。



 
   
◆第一段エッセイ
今年から2006年までチェコのプラハという美しい街にある、世界的にも有名な「スーク室内オーケストラ」の首席客演指揮者になった。年に4、5回ほどプラハでコンサートやCDのレコーディングを行っているが、美しい古都での音楽活動は、心の充実をおおいにもたらしてくれる。
(右の写真はカレル橋から。→)
  心の充実といえば、アンサンブル金沢が数年前に始めた、養護学校の子どもたちへのコンサートも、僕のうれしいことに、昨年は名古屋フィルが、そして今年は神奈川フィルが、アンサンブル金沢に続けとばかりに、このコンサートをやり始めたのだ。そして今や全国がこのコンサートに深い関心を寄せているのだ。普通に考えれば無理かな、と思うことにあえてチャレンジしたアンサンブル金沢の若くてフレキシビリティあふれる活動には頭が下がった。